都市基盤整備事業推進大会

平成29年度 都市基盤整備事業推進大会

意見発表者

全国土地区画整理事業推進協議会代表 長崎県時津町長 吉田 義德
都市再開発促進協議会代表 茨城県水戸市長 高橋 靖
全国連続立体交差事業促進協議会代表 京都府向日市長 安田 守

意見発表

全国土地区画整理事業推進協議会代表

長崎県時津町長 吉田 義德

皆様こんにちは。

ただいまご紹介をいただきました、長崎県時津町長の吉田でございます。

本日は、このような場で、意見発表の機会をいただきまして、まことにありがとうございました。

時津町は、長崎市の北部に隣接した、人口約30,000人、行政区域約21k㎡のコンパクトな町でございます。

長崎市と佐世保市を結ぶ国道206号と、時津町から佐賀市に至る国道207号の2本の国道が町内を通過し、長崎県庁まで車で約20分、長崎空港には高速船で約25分と地理的に恵まれた環境にございます。

昭和40年代から公有水面の埋め立てが始まり、埋め立て地を中心に、多くの企業、大型商業施設等が進出し、国道206号は1日の交通量が40,000台を超え、渋滞が頻繁に発生しています。

私どもの町の区画整理事業は、公共団体施行としては2例目です。1例目は時津中央土地区画整理事業として、町の中心部約28haを昭和47年に都市計画決定いたしまして、27年後の平成11年に完了と相当の長い年月を要しました。

当時、区画整理事業はなじみが薄く、減歩という形で土地をただで取られるという意識が強く、相当激しい反対運動がございました。

しかし、昭和57年に長崎大水害が発生しまして、これを契機に事業が進んだところでございます。

現在施行中の区画整理事業はその中央地区の区画整理事業に隣接した周辺、約20haを、時津中央第2土地区画整理事業として実施しています。

事業費が約132億円、20年の事業期間で平成41年度完成を目指しています。

この区画整理事業には、計画当初より私が担当課長として携わっていたものですから、先の区画整理事業で相当激しい反対運動がございましたので、そうした経験を踏まえ、計画決定に先立ち、地区毎に各地区の権利者からなる「まちづくり委員会」を立ち上げ、十分議論をしてもらう一方で、説明会等を欠席された方にもご理解頂くために、「まちづくり委員会便り」を毎回発行し、区画整理の制度説明、説明会で出された質問に対する回答等を行ってきました。

そうしたこともあってか、事業に対する反対は全くありません。

この時津中央第2の施行地区内には、隣接する国道からの通過交通が狭い生活道路に流れ込み、ピーク時には時間あたり800台を超える交通量となっており、住環境の悪化が問題となっています。

また、幅員2m程度の道路が数多く存在し、緊急車の通行もままならないといった防災面での問題も抱えています。

これらの問題を解決するため、施行地区内に都市計画道路4路線を配置し、交通渋滞の解消、防災面での安全性向上を図っています。

さて、私どもは、施行地区内で買収可能な土地を買い取って事業の早期完成、地権者の負担軽減、事業費の削減を目指しています。

町が取得した土地を先行して造成し、移転を行う地権者の仮換地と交換をします。

そうすることで、その人は仮住まいをすることなく、今の住居に住んだまま、新しい住居を建設することができます。

仮換地の造成が完了し、そこに住居の建設が可能となり、できあがるまでの仮住居費がいらなくなり、あわせて引っ越しも1回で済みます。

関係者の負担の軽減が図られると思っております。

用地の取得費は生じますが、仮住まいや移転に要する補償費の節減が図られるほか、先行して移転した権利者との交換によって取得した新たな町の仮換地には、さらにこれから移転する権利者との交換も可能となります。

何よりスムーズに移転にご協力いただくことで、事業のスピードアップが図られるといった、事業者と権利者双方にとってメリットのある手法であると考えております。

これまでの実績をご紹介いたしますと、5,600㎡の土地を約2億9千万円で取得いたしましたが、仮換地の交換に応じていただいた17件の補償費等約1億3千万円、取得費の半分ほどが削減できております。

今後も、次の移転対象者に、先に移転した地権者と町が交換した仮換地を紹介することで、さらに補償費の削減ができるものと考えております。

そして最終的には、最後に交換した町の仮換地を売却することで元はとれると思っています。

しかし、私は、時津町には大型商業施設はたくさんあるものの、高齢者が身近で買い物できる日用品店がないことから、年老いて車の運転ができなくなると、タクシー等で大型商業施設に買い物に行く必要が生じてくることもございまして、区画整理に協力していただいたお礼に、そうした身近で買い物できる日用品店の店舗に充てる用地として使いたいと思っております。

少子高齢・人口減少社会の中にあって、地方創生、地域の活性化を図るためには、このような区画整理事業を施行することによって、住環境を整備し、若者にも高齢者にも住みよい、住みたいまちづくりを目指すことがとても重要だと思っております。

そのためには、都市基盤整備の安定した予算獲得は、今後も必要不可欠と思っていますので、ご出席の皆様方と共に頑張ることを申し上げ、私の意見発表とさせていただきます。

ご清聴、ありがとうございました。

 

吉田 義德 長崎県時津町長による意見発表

時津町発表資料パワーポイント(PDF:4MB)

時津町長プロフィールシート(PDF:312KB

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都市再開発促進協議会代表

茨城県水戸市長 高橋 靖

皆様こんにちは。茨城県水戸市長の高橋でございます。

今日はこのような素晴らしい席にお招きいただきまして本当にありがとうございます。水戸市の再開発への取り組みについて発表をさせていただきます。

水戸市は,東京から120~130kmで最近上野東京ラインが開通し非常に便利になり,80分で来られるところです。一番大事なことが「納豆消費額全国1位」ということでございまして,ある意味,私たちにとっては再開発より大切なことでございまして,ちょっと宣伝をさせていただきました。

水戸駅から中心市街地のエリアでありまして,157ヘクタールです。近くには日本遺産第1号に認定をされました「偕楽園」と「弘道館」が位置しております。この偕楽園を中心とした都市公園は,すべて出来上がると約300ヘクタールです。ニューヨークのセントラルパークが340ヘクタールですので,それに匹敵する面積を街中に抱えていることで,街と自然が融合した場所です。

この中心市街地は.ご多分に漏れず大変衰退をしており郊外型・自動車社会ということで,空き店舗・空きビル・空き地が目立ちこのエリアだけで駐車場が9,400台もあるというくらい平面化,低層利用になってきていることが地方都市の典型的な現状を映し出しているところです。

水戸市はコンパクトシティ,その中でも国土交通省も提唱されております「多極ネットワーク型コンパクトシティ」を構成できる土壌があり,各地域にある生活拠点や産業系拠点とこの中心市街地を結ぶという多極ネットワーク型のコンパクトを現在目指しているところです。

多極ネットワーク型コンパクトシティを構成するために必要なものというのがこの中心市街地,いわゆる「都市核」と呼ばれているところであり,このエリアをしっかり成長させていくということが,このコンパクトシティを構成するためには非常に大切なところです。

お陰様で,中心市街地活性化基本計画が国の認定を受けることができました。そして今,立地適正化計画を策定させていただいており,非常にメリハリのついた誘導策をしっかり進めさせていただいております。

しかしながら,このエリアが「馬の背台地」といいまして南北に広がりがありません。国道50号を挟んで馬の背になっており,広がりが非常に厳しさがあります。そういった限られた土地空間の中で,どのような機能を導入していくかということが非常に大切なところになっております。

そこで,エリア取りをしております「水戸駅周辺」,「南町周辺」,「泉町周辺」,「大工町周辺」と合わせて自然エリアとして「千波湖」,「偕楽園」それぞれメリハリをつけて特徴を出して整備をしていき,それぞれの役割分担をしっかり育てていった中で連携をする。バス路線が結構充実しておりますので,バス路線の編成見直しを行ってバス路線を中心に結んでいくことで,これらの地域の中でコンパクトに連携をさせる方策というものも交通政策を中心に立ち上げようとしているところです。

特に,駅前の場所は徳川御三家のお城があったところです。水戸城跡周辺地域ですが,ここに「弘道館」がありまして日本遺産の認定を受けたところでございます。歴史まちづくりの補助金をいただきながら,あわせて景観まちづくり刷新支援事業の全国10市の中に選ばれまして,その補助金等を活用しながらこのエリアの景観づくりを進めさせていただいているところでございます。「南町」については業務系,「泉町」については芸術・文化,「大工町」はおもてなしのある飲食店街ということで,それぞれの役割分担をしているところです。

「泉町周辺地区」が芸術・文化の発信拠点として,これから再開発をするところでございます。赤で囲んだ枠の北側に水戸芸術館がございます。「水戸市政100周年」を記念して造られた施設でございまして,まもなく27,8年が経とうとしているところです。

館長が,有名な世界のマエストロ小澤征爾先生でございまして,水戸室内管弦楽団を率いてここでコンサートを行っております。ここで,独特の水戸市の芸術・文化がこれまで世界へ向けて発信されてきたという大切な場所です。水戸は納豆と黄門さまばかりではなく,ここで新たな芸術というものをひとつのアイデンティティとして育んできたそういった場所です。

その隣接するところに新しい市民会館を建てることによって,新たな芸術・文化の発信拠点というコンセプトを持ってまちづくりをしていくということでございます。私たちは,単に箱物を造るわけではなく,ここで文化とまちをしっかり創っていくという訴えを市民の皆さま方にさせていただいているところです。

赤枠で囲った南側は,2006年に京成百貨店を中心に再開発を行った場所です。トモス水戸は2013年に再開発事業としてホテル・マンション・業務の3棟で構成する再開発を行いました。お陰様で,マンションは完売,ホテルは駐車場が足りないくらい盛況でございます。心配された業務棟はちょっと1階部分は入っていないのですが,8割~9割入居が決まっておりまして,この再開発についても成功をしているといえるのではないかと思っております。

なぜ,市民会館を建てなければならなくなってきたかと申しますと,6年前の2011年の東日本大震災で昭和47年に建設された古い市民会館が被災し使えなくなってしまいました。市役所も同じところにありましたので,一緒に被災してしまいました。現在,除却をしここに新しい市役所が来年できあがります。市民会館と市役所が一緒にあったスペースを全部取り壊して市役所が来年完成をするところでございます。

市民会館を移転させるということで,立地判断をしていかなければならないということになりました。水戸市も広いですので郊外に土地を求めて建てればある意味簡単ではありますが,それでは単なる箱物行政になってしまいます。突如,田んぼの中に要塞のごとく公共施設がドンとできあがったということになると愚策なまちづくりであろうと私は思っています。車でコンサートや会議や用事を済ませ帰ってしまうというだけで,何の文化も創れなければ,まちづくりにもならないので,重要な都市機能はまちの中に置き,中心市街地の活性化に繋げていこうことであります。

難しいチャレンジではありますけれども,もともと再開発事業の計画があった泉町の中に市民会館を中心とした,若干商業スペースもありますけれども,再開発をしようということで決断をさせていただきました。再開発事業と市民会館事業を合わせると290億円にのぼるものですから,それだけのお金をかけていいのか,こんな大きいものを造っていいのかということで,市民の一部の方々から反対運動が起こっているというのも事実でございます。そういった声もしっかり受け止めながら,単なる箱物行政ではなくここに芸術・文化の発信拠点というまちを創っていく,そして,水戸のこれまで培ってきた芸術・文化をもっともっと育てていくソフト事業を展開していくということを市民の皆さま方に理解していただけるような発信をしていかなければならないと思っております。

この建物の設計者は伊東豊雄先生,芸術館の設計者は磯崎新先生でございます。磯崎新先生と伊東豊雄先生という日本を代表する2大巨匠の建物がここに並ぶということでありますので,ぜひ建物を楽しむという発信をしていければと思っております。もちろん規模・機能的に水戸市としてコンベンション機能を充実させるということで,それなりの規模・機能を持った建物にしていくわけではありますけれども,やはり基本は地域・コミュニティをしっかり増進をしていく施設,そして芸術・文化を育んでいく施設,新たなアーティスト等を育てていく人材育成の拠点,そういった地域に根ざしたコンセプトを持って建物の整備・運営をしていきたいと思っております。

国の方から社総交,あるいは暮らし・にぎわい再生事業等の補助金を受ける予定でございますので.皆さま方からの応援をよろしくお願い申し上げたいと思っております。

地域に根ざした形で市民に親しまれ,愛される市民会館づくりをしっかり進めていきたいと思っております。これが伊東豊雄先生の今回の目玉だそうでございまして,やぐら広場といっております。集成材をふんだんに使った屋内でのイベント広場でございまして,物産展や祭りなど雨の心配のないイベントができるということでございまして,芸術館と向かい合ってここで色々なソフト事業,仕掛けができるのではないかと提案を受けているところでございます。反対があるものの,単なる箱物行政で終わることなくソフト事業をしっかり展開をしてくための体制をつくり,市民の皆さんと一緒にソフト事業について知恵・アイデアを導き出していければと思っております。

この市民会館につきましては,多額な予算が伴うということからしっかり説明責任を果たしていきたいと思っております。

以上で,私からの発表を終了させていただきます。

ご清聴ありがとうございました。

 

 

高橋 靖 茨城県水戸市長による意見発表

水戸市長発表資料パワーポイント(PDF:4.5MB)

水戸市長プロフィールシート(PDF:284KB)

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全国連続立体交差事業促進協議会代表

京都府向日市長 安田 守

ご紹介いただきました京都府向日市の安田でございます。

本日は都市基盤整備事業推進大会でこのような機会を与えていただき、まことにありがとうございます。京都の向日市のことを皆さんはあまりご存知のない方もおられると思いますので、この場をお借りしてまちの様子と宣伝をさせていただきたいと思っております。

本市では2年前に大きくイメージ戦略をうちました。この「むこう・むこう」というポスターをJR・阪急電車に大きく貼り出し、近畿一円を走ってもらいました。この「むこう・むこう」というのはどういう意味ですか、とよく聞かれますが、それがこちらの狙いで、特に意味はありません。向日市の方を向いてもらおうというような意味ですが、この戦略的な広告で市の内外から広く反響があり、イメージ戦略の効果を感じています。

向日市は、縦に長い京都府の中央部に位置しており、京都市西京区・南区・伏見区と三方を囲まれ、全国で三番目に面積が小さい市であり、西日本では一番小さな市であります。明治22年の町政施行以来、一度も合併はしておりません。現在の人口が約5万7千人、面積が7.72平方キロで、京都府下で一番人口密度が高くなっております。

この狭い面積の中に阪急京都線の東向日駅・西向日駅、そして京都市に隣接する洛西口駅と三つの駅がございます。またJRでは、実は京都駅よりも先にできた駅である向日町駅と、その北側に桂川駅があります。市内の駅から京都市中心部へ約10分、そして大阪市内へも35分で行くことができ、京都中心部から非常に近い市です。

本市の歴史は古く、縄文・弥生時代から現在に至るまでずっと人が住んでおります。例えば紀元前300年頃の農耕の跡が示され、人面土器も出土した森本遺跡や、史跡指定された乙訓古墳群の中で五つの古墳があります。特に物集女車塚古墳は石室がそのまま保存されており、機会があれば是非ご覧いただきたいと思います。

そしてもう一つ大切なことですが、平城京から平安京へ、と思われている方も多いかもしれませんが、西暦784年に桓武天皇が平城京から長岡京に遷都をいたしました。そしてその10年後に長岡京から平安京に遷都された訳ですが、その長岡京の中心である大極殿・朝堂院・内裏、今で言うところの国会議事堂や皇居といった施設が全てこの向日市域にありました。このように長岡京の中心として784年から10年間栄えた所で、その遺跡が多く残されております。社寺といたしましては、創建1300年を迎える重要文化財である向日神社があります。この神社は、明治神宮のモデルになったと言われている三間社流造という珍しい造り方をされております。

それらに加え、平安時代から道があったとする西国街道や、昭和初期に開発された閑静な住宅街は桜の径と呼ばれ親しまれております。そして竹の径は、昨年で言いますと、車のタントやNSX、直近ではみずほ銀行がコマーシャルの撮影をしております。竹の径と聞いて、京都市を思われるかもしれませんが、自然と一体化しているのは向日市の竹の径であり、遊歩百選にも選ばれております。特産は日本一と言われているタケノコ、長岡京時代の料理を再現した大極殿御膳、近年は特に激辛商店街が全国に知られております。

それでは連続立体交差事業についてお話をさせていただきます。本市では昭和47年の第一次総合計画において、高架化を目指すと位置づけております。既にそれから46年間が経過しております。この間繰り返し調査を行っており、連続立体交差事業に向けて取り組みを始めようとしましたが、向日市の一般会計の数倍にあたる多額の事業費が必要となるということで、頓挫することとなりました。その間、京都市域では連続立体交差事業が実施され、既に完了されております。これは向日市域に一部が入ってきておりますが、この連続立体交差事業に関連して、本市では洛西口駅と桂川駅の間において、組合施行の土地区画整理事業を実施しました。以前は市街化調整区域でしたが、現在は市街化区域となって、地価は平米当たり40倍にまで上昇することとなり、非常にポテンシャルの高い土地であります。洛西口駅の西側に土地が空いておりますが、本市の空いている土地は全て市街化調整区域で、住宅の建設は一切できません。しかしこれらの土地のポテンシャルを活かすために、今後地区計画を活用して、人口フレームに影響を与えないようにしながら、土地利用が出来るようにしていきたいと思っております。

平成25年に完成いたしました、この洛西口駅と桂川駅間の区画整理事業でイオンモールを誘致しましたが、この駅直結型のイオンモールは例がなく、休日には5万人ほどが訪れられ、その多くの方がJR・阪急の電車を利用されており、非常に賑わっております。

連続立体交差事業の必要性を考えた理由として、踏切の事故があります。昭和36年には死者7名、昭和45年には5名を出す事故がありました。これは私も親から、線路に近づく時は事故の危険性があるので本当に気をつけなさい、と当時言われていたことを鮮明に覚えております。そして渋滞の解消も理由の一つです。事故が起きた東向日の踏切は、現在1日に1万台の交通量があります。洛西口駅は京都市の連続立体交差化事業で高架化されましたが、それ以前は写真のように渋滞が慢性化しており、私の家から洛西口駅まで歩いて7分くらいですが、車では15分以上かかりました。それが高架化によって、1・2分で行くことができるようになりました。このように連続立体交差化が渋滞解消にかなりの効果があると確信しております。

この京都市の事業として連続立体交差事業が行われた立体交差は向日市に入るにつれて下がって終わっております。事業を推進するためには様々な取り組みが必要です。これは本市だけでできることではなく、もちろん京都府の事業であります。そして着実に事業を進めていくためには、適正な資金計画を立てる必要もあり、様々な問題があるものと認識をしております。

最後になりましたが、連続立体交差事業を含めてこの地域を整備することにより、様々な可能性を生み出すことができます。現在本市では5大プロジェクトと名付け、私が就任以来大きなプロジェクトを立ち上げております。それは京都駅より古いJR向日町駅ではありますが、東口が未開設なので、それを開設し、それに加えてその地区に地区計画を立て、今は日本電産さんに進出してもらう話を進めております。実は日本電産の会長は私の実家の近くの出身でして、非常に親しくしていただいているんですが、それも契機に是非向日市に帰ってきてほしいとお話をしております。そして三つめとして先ほども申しました、洛西口駅西側の土地の地区計画、さらには桂川向日スマートICの整備、そして最後に最も大きな、阪急京都線の向日市域連続立体交差事業、これを完成させることが、本市にとって、そして京都にとっても発展の礎になると理解をしております。これらのプロジェクトを計画しておりますが、資金の確保が必要であります。国土交通省の皆さんのお力添えもいただきながら、進めていかなければならない事業ですので、どうかよろしくお願いしたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。

 

安田 守 京都府向日市長による意見発表

向日市発表資料パワーポイント(PDF:4MB)

向日市長プロフィールシート(PDF:1MB)

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